2016年12月23日金曜日

ブルネイってどんな国?③

Apa khabar(お元気ですか)?

ブルネイ・ダルサラーム国をざっくり紹介する記事も、第3弾になりました。

今回はブルネイの歴史について紹介したいと思います。

日本でブルネイに関する印象を聞いてみると、「お金持ちの国」と答える方が多いです。
では、いかにしてブルネイはお金持ちの国と認識されるようになったのでしょうか?


参考:外務省ほか

[独立前]
5世紀後半〜10世紀 中国の文献に現在のブルネイあたりに存在したとされる「ポーリー」国の使節が中国を訪問したとの記述
13〜14世紀 中国と「ポーリー」との海上交易が盛んに行われる
1368年 アラク・ベタタール王がタマセック(マレー半島に栄えた国?、現在のシンガポール)のお姫様と結婚し、イスラム教徒に改宗。初代スルタン、モハマッド・シャーになる。
1408年 2代目国王のマジッド・ハサンが明を訪問中に南京(明の国都)で病死、同地に墳墓が建立される(ボニ王の墓)。
1485年 6代国王ボルキアの統治下、領域をサバ・サラワク州及びフィリピン南部を統治、ブルネイ王国の最盛期。
1521年 マゼランがブルネイに入港。マゼラン一行、当時大半の人々が生活していた水上集落を「東洋のベニス」と呼ぶ。
1841年 サラワク州が英国人ジェームス・ブルックに譲渡される。
1888年 領土保全のために英国と保護協定を結び、外交・軍事を英国が担当。
1906年 内政を含め、完全に英国の保護領となる。
1929年 原油の商業生産を開始。
1941年 日本軍によるブルネイ占領(1945年までの5年)
1959年 内政の自治を回復、憲法発布。
1962年 アザハリの反乱(ブルネイ人民党メンバーによる、スルタン制及びブルネイのマレーシア連邦参加に反対する反乱)が発生。英国軍が鎮圧に協力。「非常事態宣言を発布」(2年ごとに更新され、現在に至る)
1963年 サバ・サラワクの両州がマレーシア連邦に加盟。ブルネイは加盟せず。
1967年 ハサナル・ボルキア国王が第29代スルタンに即位。
1984年 英国より完全独立(1月1日)、英国保護領から完全独立(2月23日−独立記念日)。

ブルネイで油田が発見された経緯としては、

1922年 英国マラヤ石油社(のちのブルネイ・シェル石油)が創立。
1926年 セリア川で原油の匂いがすると発見される。
1927年 地理学者による調査が行われ、ガスの漏出が報告される。
1928年 初の石油掘削(Seria Well Number One: S-1)が行われる。
1929年 商業生産を目的とした石油掘削(Seria Well Number 2)行われる。
1957年 初の海上石油掘削が開始される。


実は、ブルネイの人々は700年以上もの間、水上に集落を作って生活しており、当時は王宮、政治、経済の中心すべてが水上にありました。陸上に住み始めたのは英国の保護領となった1900年代からであり、石油が発見されて今の「お金持ちの国」というイメージになったのもここ50年ほどの話なんですね。
日本が5年ほどブルネイを占領していた時期もあり、またブログで取り上げたいと思います。
これが東洋のベニス・・・かつてはみんなここに住んでいた!!

現在の水上集落。近代的な建築もあります。
水上集落の美しい夕暮れ


外務省が日・ブルネイ外交関係樹立30周年を記念して、ブルネイについて紹介した記事を見つけたので、シェアします。

外務省: わかる!国際情勢 Vol.114 ブルネイという国~“豊かな自然と資源に恵まれた平和な国”と日本の絆
http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/pr/wakaru/topics/vol114/index.html

またまたずいぶんざっくりとですが、ブルネイの歴史について紹介しました!
今後は観光地やレストラン情報などさまざまなトピックについて書いて行きたいと思います^^

それでは、Sampai jumpa lagi!




2016年12月19日月曜日

ブルネイってどんな国?②

Selamat malam(こんばんは)!

今回はブルネイの民族や宗教について書きたいと思います。

参考:http://2016.borneobulletinyearbook.com.bn/files/assets/basic-html/page-42.html#

ブルネイの人口41万1,900人のうち、66%がマレー系、10%が中華系(華僑)、24%がその他となっています。
マレーシアよりもマレー系の比率が高いです。

「その他」のカテゴリは、ドゥスン、イヴァンなどのボルネオ島先住民族や、フィリピン人、インドネシア人、その他外国人が含まれます。

マレー系が過半数を占めるブルネイでは、国教としてイスラム教(スンニ派)が信仰されています。
イスラムの王国ですから、スルタンが国王、国王がスルタンというわけですね。
現国王は第29代スルタン、ハサナル・ボルキア国王(His Majesty Sultan Haji Hassanal Bolkiah Mui'zzadin Waddaulah)です。
御年70歳、来年2017年10月で、戴冠50周年を迎えられます。
バンダルスリブガワン市内式典広場にて。国王誕生日パレードの装飾。


ブルネイの国是は「マレー主義、イスラム国教、王政主義(Melayu Islam Beraja)」で、国民の暮らしもこれに基づいていると言えます。

国内の至る所に礼拝所(モスク)があり、1日5回のお祈り、金曜の集団礼拝、またイスラム暦による断食(ラマダン)や犠牲祭など宗教行事が行われています。
オマール・アリ・サイフディーン・モスク。毎日5回、ミナレットと呼ばれる塔からアザーンが聞こえる。



もちろん中華系やその他の民族のなかには、仏教徒やキリスト教もいますので、それらの人々に対する信仰の自由は保証され、バンダルスリブガワン市内には中国寺院や教会もあります。

市内キアンゲ地区にある中国寺院。中国正月の際は大変賑わう。


ブルネイの民族と宗教について、なんとくなくでもお分かりいただけたでしょうか?

それではまた。Sampai jumpa lagi :)

2016年12月18日日曜日

ブルネイってどんな国? ①

Selamat tengahari (こんにちは)!


今日は、ブルネイってどんな国?というざっくりした疑問に順番にお答えしたいと思います。


まず、ブルネイ(Negara Brunei Darussalam:永遠に平和な国という意味)は、
日本(東京)から4,000キロほど南にある世界で3番目に大きな島ボルネオ島に位置する国で、
広さはなんと三重県とほぼ同じ(5,765㎢)、人口は約41万1,900人という小さな国です。国土の7割が熱帯雨林のジャングルに覆われているそうです。
人口40〜42万人というと、日本で言えば東京都町田市、神奈川県横須賀市、岐阜県岐阜市などと同等のよう。


参考:外務省HPブルネイ基礎データ
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/brunei/data.html#section1



首都はバンダルスリブガワン(Bandar Seri Begawan:高貴で神聖な街という意味)、国内はブルネイ・ムアラ地区(Brunei-Muara)、トゥトン地区(Tutong)、ブライト地区(Belait)、テンブロン地区(Temburong)の4つの地区に分かれています。

Brunei districts english.pngWikipediaより引用https://ja.wikipedia.org/wiki/ブルネイ


首都バンダルスリブガワンのあるブルネイ・ムアラ地区に人口の72%が居住しています。


バンダルスリブガワン中心部の光景(2016年国王誕生日のお祝い時:著者撮影)


人口密度は71人/km2ですが、マレーシア・サラワク州を隔てて飛び地になっているテンブロン地区には人口の2%しか住んでいないとか。


テンブロン地区には豊かな自然が(ウル・テンブロン国立公園より著者撮影)



参考:http://borneobulletinyearbook.com.bn/category/overview/(英語版のみ)


今回はざっと地理や人口について紹介しました。
お次は民族や宗教、言語を紹介します〜
Sampai jumpa lagi!


ようこそ!Selamat Datang!

Tropical life in Bruneiへようこそ〜


はじめまして。ブルネイ在住の日本人、Kenangaと申します!


このブログでは、日本ではあまり知られていない東南アジアの王国、ブルネイ・ダルサラーム国 (Negara Brunei Darussalam 通称:ブルネイ)について紹介していきたいと思います。


日本で、ブルネイの観光・生活情報を調べようと思っても、なかなか見つかりませんよね?


地球の歩き方(ダイヤモンド・ビック社)の「マレーシア・ブルネイ」にも、約400ページのうちブルネイの部分はたったの20ページほどしかありません...




ブルネイって興味があるけど、どんな国だか分からない、観光の見所や交通事情、人々の生活はどんな感じ?という疑問にお答えすべく、国の概要から最新の流行スポットに至るまで、在住者から見たブルネイの魅力を紹介いたします!


東南アジアを周りたい、ASEAN諸国を制覇したい、ボルネオ島に行ってみたい、はたまた生活してみたい、という皆さんのお役に立てるような情報を提供していければと思っています。



それでは次の記事でお目にかかりましょう!
Sampai jumpa lagi(また会いましょう)!