ブルネイ・ダルサラーム国をざっくり紹介する記事も、第3弾になりました。
今回はブルネイの歴史について紹介したいと思います。
日本でブルネイに関する印象を聞いてみると、「お金持ちの国」と答える方が多いです。
では、いかにしてブルネイはお金持ちの国と認識されるようになったのでしょうか?
参考:外務省ほか
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/brunei/data.html#section1
https://en.wikipedia.org/wiki/Brunei#Early_history
https://en.wikipedia.org/wiki/Brunei#Early_history
[独立前]
5世紀後半〜10世紀 中国の文献に現在のブルネイあたりに存在したとされる「ポーリー」国の使節が中国を訪問したとの記述
13〜14世紀 中国と「ポーリー」との海上交易が盛んに行われる
1368年 アラク・ベタタール王がタマセック(マレー半島に栄えた国?、現在のシンガポール)のお姫様と結婚し、イスラム教徒に改宗。初代スルタン、モハマッド・シャーになる。
1408年 2代目国王のマジッド・ハサンが明を訪問中に南京(明の国都)で病死、同地に墳墓が建立される(ボニ王の墓)。
1485年 6代国王ボルキアの統治下、領域をサバ・サラワク州及びフィリピン南部を統治、ブルネイ王国の最盛期。
1521年 マゼランがブルネイに入港。マゼラン一行、当時大半の人々が生活していた水上集落を「東洋のベニス」と呼ぶ。
1841年 サラワク州が英国人ジェームス・ブルックに譲渡される。
1888年 領土保全のために英国と保護協定を結び、外交・軍事を英国が担当。
1906年 内政を含め、完全に英国の保護領となる。
1929年 原油の商業生産を開始。
1941年 日本軍によるブルネイ占領(1945年までの5年)
1959年 内政の自治を回復、憲法発布。
1962年 アザハリの反乱(ブルネイ人民党メンバーによる、スルタン制及びブルネイのマレーシア連邦参加に反対する反乱)が発生。英国軍が鎮圧に協力。「非常事態宣言を発布」(2年ごとに更新され、現在に至る)
1963年 サバ・サラワクの両州がマレーシア連邦に加盟。ブルネイは加盟せず。
1967年 ハサナル・ボルキア国王が第29代スルタンに即位。
1984年 英国より完全独立(1月1日)、英国保護領から完全独立(2月23日−独立記念日)。
ブルネイで油田が発見された経緯としては、
1922年 英国マラヤ石油社(のちのブルネイ・シェル石油)が創立。
1926年 セリア川で原油の匂いがすると発見される。
1927年 地理学者による調査が行われ、ガスの漏出が報告される。
1928年 初の石油掘削(Seria Well Number One: S-1)が行われる。
1929年 商業生産を目的とした石油掘削(Seria Well Number 2)行われる。
1957年 初の海上石油掘削が開始される。
実は、ブルネイの人々は700年以上もの間、水上に集落を作って生活しており、当時は王宮、政治、経済の中心すべてが水上にありました。陸上に住み始めたのは英国の保護領となった1900年代からであり、石油が発見されて今の「お金持ちの国」というイメージになったのもここ50年ほどの話なんですね。
日本が5年ほどブルネイを占領していた時期もあり、またブログで取り上げたいと思います。
外務省が日・ブルネイ外交関係樹立30周年を記念して、ブルネイについて紹介した記事を見つけたので、シェアします。
5世紀後半〜10世紀 中国の文献に現在のブルネイあたりに存在したとされる「ポーリー」国の使節が中国を訪問したとの記述
13〜14世紀 中国と「ポーリー」との海上交易が盛んに行われる
1368年 アラク・ベタタール王がタマセック(マレー半島に栄えた国?、現在のシンガポール)のお姫様と結婚し、イスラム教徒に改宗。初代スルタン、モハマッド・シャーになる。
1408年 2代目国王のマジッド・ハサンが明を訪問中に南京(明の国都)で病死、同地に墳墓が建立される(ボニ王の墓)。
1485年 6代国王ボルキアの統治下、領域をサバ・サラワク州及びフィリピン南部を統治、ブルネイ王国の最盛期。
1521年 マゼランがブルネイに入港。マゼラン一行、当時大半の人々が生活していた水上集落を「東洋のベニス」と呼ぶ。
1841年 サラワク州が英国人ジェームス・ブルックに譲渡される。
1888年 領土保全のために英国と保護協定を結び、外交・軍事を英国が担当。
1906年 内政を含め、完全に英国の保護領となる。
1929年 原油の商業生産を開始。
1941年 日本軍によるブルネイ占領(1945年までの5年)
1959年 内政の自治を回復、憲法発布。
1962年 アザハリの反乱(ブルネイ人民党メンバーによる、スルタン制及びブルネイのマレーシア連邦参加に反対する反乱)が発生。英国軍が鎮圧に協力。「非常事態宣言を発布」(2年ごとに更新され、現在に至る)
1963年 サバ・サラワクの両州がマレーシア連邦に加盟。ブルネイは加盟せず。
1967年 ハサナル・ボルキア国王が第29代スルタンに即位。
1984年 英国より完全独立(1月1日)、英国保護領から完全独立(2月23日−独立記念日)。
ブルネイで油田が発見された経緯としては、
1922年 英国マラヤ石油社(のちのブルネイ・シェル石油)が創立。
1926年 セリア川で原油の匂いがすると発見される。
1927年 地理学者による調査が行われ、ガスの漏出が報告される。
1928年 初の石油掘削(Seria Well Number One: S-1)が行われる。
1929年 商業生産を目的とした石油掘削(Seria Well Number 2)行われる。
1957年 初の海上石油掘削が開始される。
実は、ブルネイの人々は700年以上もの間、水上に集落を作って生活しており、当時は王宮、政治、経済の中心すべてが水上にありました。陸上に住み始めたのは英国の保護領となった1900年代からであり、石油が発見されて今の「お金持ちの国」というイメージになったのもここ50年ほどの話なんですね。
日本が5年ほどブルネイを占領していた時期もあり、またブログで取り上げたいと思います。
これが東洋のベニス・・・かつてはみんなここに住んでいた!! |
現在の水上集落。近代的な建築もあります。 |
水上集落の美しい夕暮れ |
外務省が日・ブルネイ外交関係樹立30周年を記念して、ブルネイについて紹介した記事を見つけたので、シェアします。
外務省: わかる!国際情勢 Vol.114 ブルネイという国~“豊かな自然と資源に恵まれた平和な国”と日本の絆
http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/pr/wakaru/topics/vol114/index.html
またまたずいぶんざっくりとですが、ブルネイの歴史について紹介しました!
今後は観光地やレストラン情報などさまざまなトピックについて書いて行きたいと思います^^
それでは、Sampai jumpa lagi!
またまたずいぶんざっくりとですが、ブルネイの歴史について紹介しました!
今後は観光地やレストラン情報などさまざまなトピックについて書いて行きたいと思います^^
それでは、Sampai jumpa lagi!
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